仲間なんて要らないです。
一人で突っ走って行けば大体のことは自分一人でやれます。継続さえできれば何でも得意になる。
そして、選択が正しければ、得意は収入化も難しくありません。
人に頼らないで何でも一人でやり遂げてみせます。
このように思っている人はおそらく下記と同感すると思います。
仲間が居なくてもいい理由です。
- 私には他人の励ましは要らないです。
- 私の考え方はいつも正しいので他人の指摘は不要です。思い込みも。
- 私は自分を刺激できます。他人の刺激は要らない。
- 高め合える存在は要らない。自分一人の力でできます。
- どんな問題も自力で解決できます。他人のアドバイス、助けは要らない。
- そもそも誰かと関わる必要性はない。仲間は要らない。自分の問題だけに集中してやればいい。
いかがですか。同感するところありますか。
ここで思い浮かべてみてください。
上の仲間要らない強気の姿勢は貴方にできる自信はありますか。
もし、できる自信があれば、その生き方もありなので貫いてください。仲間の存在が大事という常識を打ち破って、自分一人の成長に集中してください。
その力強い姿勢を持ち続けてください。
もし、そんな自信がないという実感だったら仲間を作ってください。
著者の僕には、仲間が要らないという自信はないのでしばらく仲間に頼っていくつもりです。
僕も仲間の力になりたい気持ちもありますし、尽くせるところは尽くしていきたいと思っています。
となれば、話は仲間が必要となる理由に変わります。
つくところは、仲間が要らない理由の真逆です。
思い込みは正しくない
思い込みは正しくない可能性があります。それを直してくれるのは正直に言ってくれる仲間です。
自分一人の発想は自分の都合で偏る恐れがあるので客観的にみて、判断してくれる仲間が必要です。
恐ろしいのはどんな人も自分の思い込みに対抗できない。
自分そのものが思い込みとして現れているため、それが正しくなくても気づくことはできない。
気づいたとしても、直す方法が分からないのです。
そこに自分と異なる角度から物事をみてとらえる仲間の正直な意見がなければなりません。その意見を素直に受け入れ、視点を変えればまた違った光景がみられるかもしれない。
選択肢を増やすことも大事です。
また、指摘してくれる仲間がいれば曖昧さもなくなります。
他人の励ましは必要
人には他人の励ましが必要です。特に仲間の励ましは格別です。
我々は弱い生き物ですからすぐ挫折します。
そして、挫折を少しでも感じれば同じ行動が続けられなくなります。単純なことでも同じです。
それがモチベーション低下につながり行動ができなくなります。
モチベーションは一回落ちたら復活が難しくなります。
もっと大きなきっかけが必要になる。
そこに必要なのは、仲間の勇気づけ、励ましいです。
素晴らしいフィーリングを味わえます。
考え方はいつも正しいとは限りません
そうです。間違えることも誰にもしばしばあります。いつも正しいとは限りません。
それは、思考力と関連するが主な原因は上にも述べた思い込み、自分の信念です。
自分の中の信念を簡単に曲げることはできないので正しくない判断に気づくことはありません。
それを察知し、指摘してくれるのは仲間です。
他人の刺激は大きい
人は他人に刺激を受けて、次のステップを決めることが多い。特に仲間から受ける刺激は強力です。
その理由は、自分一人では想像力が足りないからです。
想像力を膨らませるにはやっぱり他人からの刺激が必要です。
自分の中の知識や能力、行動力をつなげて自分という形を作るのは想像力ですから、刺激を求める欲求はいつも強いです。
仲間の刺激は大きいし、一番信頼できる。お互いから刺激を受けて、能力を高め合えることは我々人間の成長できる基本中の基本だと思います。
仲間に正してもらえ、励ましてもらえ、高め合えることで直面する問題と立ち向かう力がつきます、増します。
もちろん自分一人の力で問題を解決できることはあります。自分で解決したい心構えも大事ですが、勇気と勢いをつけてくれるのは仲間のアドバイス、助けです。
忘れてはいけないと思っています。
そして、人に助けてもらったらお返しの気持ちも芽生えてきますので自分一人の問題だけに集中できなくなります。
仲間の力に足りたい気持ちが大きくなる。
これは社会性のある人間という生き物の大きな特徴でもあります。
いろいろと堅苦しく書きましたが、言葉を変えれば仲間意識は協力の切符です。
これぞと言った時にすぐに使える切符なので大事に保管しておく必要があります。
無くしたり、汚したり、破ったりすれば今度使えなくなりますから要注意です。
最後に一つ、問いかけます。
あなたは、その協力切符を大事にしていますか。
無くなったりしていませんか。
今一度ポケットの中を確認してください。