成功の秘訣はたくさんある。
やっぱり、質を求めてしっかりやることです。
怠け者になってはいけない。
と言う、じゃない?
もし、その逆が成功への一つの道だと言ったら、どう思いますか。
成功をするには、質を落とすべきです。皆が反対するだろう。
実は、僕の家にあるテレビのリモコンを見てこのように思いました。
短いストーリーなのでぜひ、読んで刺激を受けてください。
うちに置いてあるテレビのリモコンに新品のままのボタンがある。
5、6年前から共同生活しているテレビですが、そのボタンは多分一度も押したことない。
購入する時、欲張って、より多くの機能、便利さを求めすぎたかな。笑
なんとなく、色々使い方が出来た方がちょっと高くてもいいと言う思いで購入した記憶がある。
でも、要らない物は要らない。
一瞬欲しくなるが、実際に手に入れてみれば特別な気持ちを誘えない物もたくさんある。
買い物は、やっぱりシンプル・イズ・ベストです。
そうして行こう決心しました。
この話をしていると、どこかで読んだ本の内容を思い出しました。
話がここから真面目になるので疲れている方は読まないでください。
日本のメーカは質を求め過ぎてビジネスで失敗する、と言う評論家がいる。
例えば、記事の頭にある、テレビにまつわる話。
日本人の誇り、TOSHIBA、SONY、SHARPが素晴らしいテレビを開発している。
ディスプレイが高解像度で綺麗、透明度もあり、見易い。
薄型で4K対応。8K対応の物も出始めている。
4K技術について知りたければ、4K技術を5分で分かるページを読んでみてください。
でも、4K、8Kはものすごいデカイ部屋に50インチ以上の大きいテレビを置かない限り、通常のテレビとさほど違いは感じない。
8畳の部屋に34インチの4Kテレビを置いても、今までのテレビと圧倒的な差はおそらく感じないと思います。
仕事の絡みでこの辺りはわかりますが、人の目ではほとんど差は感じない。
もちろん素晴らしい技術ですが。
機能性もバッチリです。
ネットに繋がったり、ユーザの行動パターンを学習し、帰宅の時間に合わせて電源つけたり、時間に応じて番組を選んでくれたり、好きそうなジャンルの番組を勧めたり、好きな番組を録画してくれたり、テレビ電話が出来たり。
テレビ機能が充実した、持ち運びできないスマホという感じです。
全ての機能がボタン一つで出来れば当然ユーザが喜ぶので大体そんな感じになっている。
そうなると、どうしてもボタンが数が多くなる。
ま、一言にまとめれば、機能性と品質は文句なしです。
これだけで勝負なら間違いなく世界トップレベルであり、商品も売りまくっているはずです。
でも、残念ながら現状は違う。
これらのトップメーカに関する明るいニュースはこの頃聞かない。
TOSHIBAは最悪な経営状況です。台湾の民間企業に売却されそうになった。
普通ならあり得ないことです。
質の話とは、関係ないが、原子力の分野で失敗したにも関わらずまた変な決断している。
どうなるもんか。
SONYも色んな事業を売り払うはめになった。
技術分野での利益がいまいちよろしくないからそれ以外の分野にも手を出している。
儲けを拡散させるためにやっていると見る人もいますが、単純に危機意識があるから今までやったことのない分野に乗り出す裏があるとみている。
SHARPは調べないと現状が良く分かりませんが、AQUOSのコマーシャルが確実に減っている。
ものを作ったら、宣伝して、売るというビジネス流れがある。
宣伝が減るということは、ものが作れていないという見方もできる。
でも、上の会社らは最高の質を求めてやっています。
技術者の誇り、魂、情熱が直接反映されるのでそこは手を抜かないはず。
そう思うと質がものを言うという常識がもう崩れている。
信じたくないが否定はできない。
メーカは底力あるから短い期間で求めた高質にたどり着いてしまう。
ただ、その品質はこだわる技術者基準であり、ユーザにとっては高すぎる。
特に日本の技術者は勤勉で、几帳面で、真面目です。
チームプレイも優れているので、作るものの質はずば抜けて高い。
問題は、その質がユーザにとってどれくらいのレベルなのかです。
質が高い分、それにつく評価ももちろん高い。それが直接値段に反映される。
やっぱり、ユーザからしてみれば、結局高級品扱いです。
ユーザにも、これくらいまでであれば、問題ないという基準がある。
そのレベルを越えれば、確かにいい商品ですが、ここまでの質を求めてないからと言って、なかなか手を出しません。購入しません。
スゴいですね、という感想で終わっている。
開発に巨額なお金を投資して高品質な物を作っても売り上げが伸びない原因はここだと思います。
つまり、品質の求めすぎもダメな証拠です。
これじゃ、安く作って高く売るというビジネスの基本ルールに違反している。
儲ける訳がない。
質をあげても売り上げが上がらない実例です。
この辺り、色々調べて続きを書きたい所ですが、今度の機会にします。
言いたいのは、もちろん質は大事ですが、それが全てではないというところですね。
スピードだったり、量だったり、ままの質でとりあえず形作るとか、目を配るべき所は沢山ある気がします。
こうやって文書書いていても、同じ所でつまずくことも良くある。
完璧な文書を書こうとこだわりすぎると、なかなか完成できない。
それが苦手意識につながるという厄介なシナリオは避けたいなと思っているのが正直な所です。
品質を2番に置くにもいいことがある。
その合図は、質を求めて苦痛に感じる瞬間です。
苦痛を感じるとは、避けたい反応の表れなのでそのまま続けても効果がない。
でも、ここスポーツ選手、特に一流選手の歪んだ顔をしならキツイ練習をするのと実質的に異なるから勘違いしないでください。
一流選手のあれの裏には充実感がたっぷりあるので苦痛とは言えない。
最後に、もう一回言いますが、物事に取り組む際に苦痛を感じる瞬間が質を少し落とすべき合図だと思ってください。
そして、避けたい反応を長く続けてしまえば苦手意識になるのでやめてください。
質を落としても、いい場合もある。
この考え方、姿勢は今後の活動の役に立つ気がしますね。
補足になりますが、質を落とすべき時と度合いがある。