21世紀はプライドを持つべきなのかか、プライドを捨てるべきなのかか。
どう思う?
21世紀は、個の世紀だと言われている。個人が何でも触れられ、個人が何でも成し遂げられる時代です。
大学生が大手と手を組んでヒット商品を生み出している。
主婦が国家プロジェクトに意見をぶつけ、採用されている。
小さい女子が国連の舞台で演説して世界に環境保護を訴えている。
昨日バイトしていた一般女性が今日有名雑誌のカバーガールを勤めて、夢をつかもうと努力している。
10代で年収何十億も稼ぎ出す若者がざらにいる。
定年退職した夫婦が宇宙まで飛ぼうと準備している。そのバックは民間企業です。
まさに、個が何でも出来る時代であり、そんなプラットフォームも出来上がりつつある。
では、個の世紀では我々はどうあるべきなのか。
実は、それは、プライドを高く持って生き抜くべきか、プライドを捨てて普通に取り掛かるべきかにかかっている。
個と集合のつながりがメインだった今までは、集合体のためにも個々のプライドが重視され、
これもこれで、確かに必要です。自分の存在感を示し、自分の力を試すプライドなら持たなければならない。
でも、多くの人が言う通り、時代が個が中心な時代に移り変わっている。皆が本質に注目を当て、個の本心を引き出そうとしている。
つまり、ありのままじゃなければ通用しない時代に突入です。
なので、ズバリ、21世紀はプライドを捨て、ありのままをさらけ出さなければ時代遅れする恐れがある。
21世紀はプライドを捨てるべきです。
プライドには、アンビバレンス的な側面がある。
鎧を身につけ、自分を守らなければならないが、その反面、
世の中が自由になっているのに、プライドが高すぎるせいで自由を奪われていては、勿体ないです。
重たいプライドを捨てて、
昔、バイト先のお婆さんに、君はプライドが高すぎ、だと言われてムカついたことがある。
プライドがある人に限って、プライドがない、普通の人なのだ、と演技する。
そんな僕は、悪口言われてしまったと思い込んで不快になっていたね。
それ位、ガチガチに固い、プライドが高い男でした。
でも、色々経験していくと人は変わります。今は、プライドと言えるものは大体捨てました。正直、要らないことが分かったんです。
君はウンコだと言われても、ビクともしないです。笑
僕の事をあの人はクソだと撒き散らしてもビクともしないです。笑
言われたからと言ってクソにも、ウンコにもなりはしない。
その心持ちの結果、人と話しやすくなったし、人をもっと理解しようと思うようにもなりました。
僕にはこれがプラスです。
表情も重たい、固い、レンガみたいな表情から、どんな女性も一目惚れするカッコいい表情に変わりました。笑
ま、明るくなりましたよ。
それに、人は他人のことをそれほど気にしていないです。
有名な人でさえ、直ぐ忘れ去られるからね。
一昔前、朝青龍が完全悪者扱いされて、
でも、今は当時のことを気にかける人はいるでしょうか。
むしろ、朝青龍が相撲界を盛り上げていたな、と思う人がいるくらいです。
なので、鎧みたいな重たいプライドのせいで人の目を気にして生きる必要性はない。
悪く言われたからと言って、いちいち反応しない方がいいです。
プライドを傷つけられた、といちいちムカついて、殴りかからなくていいです。
他人の都合で気持ち悪く過ごしても仕方がないです。事実無根の悪口は、無視すればいいです。
でも、自尊心だけはしっかり持つべきだと思いますね。
空白のプライドより、素直な自尊心という結論です。
これこそ我々の本心であり、本音であり、本能でもあります。
プライドを捨てれば、人を引き付けられます。皆自然体を好むからね。
変なプライドは人を遠ざけます。
この辺りを考えて行動するのもメンタリズムです。
21世紀は、プライドを思いっきり捨てて、自尊心をしっかり持って、世界を、いや、大事な家族にいい影響を与えていきましょう。
その次は世界です。笑
グッドラック。